八幡山 法蓮寺
沿革
縁起

山号八幡山 寺号法蓮寺 大本山池上本門寺の旧末寺で境内の面積約4千平方メートル(1212坪)、本堂は戦災により焼失後、昭和41年5月再建され 建坪総面積約548平方メートル(166坪)の壮大な伽藍で朝日、夕日に映え美しい。

当山は文永の頃(1260年代)当時の領主にして源氏の末裔、荏原左衛門尉義宗公、日朗聖人に帰依し長勝と号す。その子徳次郎も同上人に師事 出家得度し越中阿闍梨 朗慶上人と称し、のちに九老僧に列せらる即ち法蓮寺開山の上人である。

徳川時代に至り11代将軍家斉公鷹狩りに際し当寺にたびたび休憩され、時の住職第39世妙沾院日詮上人は角力の相手を手加減なくされたと聞く、その人柄は将軍はじめ江戸城中にも多くの信者を得た。

その後、「天保の改革」にあい以後寺運衰退の止むなきに至った。数代を経て第45世 常慎院日朝上人は当寺の再興に全身全霊を打ち込まれ見事な伽藍と枯山水の有名な庭園を造られたが、昭和20年5月の大空襲により灰燼に帰した。

然し伝統の万灯行事は戦後いち早く復活し今も盛大に受けつがれている。昭和41年5月には檀信徒一同の強い信仰心と固い結束により現在に見る荘厳な本堂が再建され更に平成2年11月には客殿及び庫裡を建設した。

※参照 鎌倉史、北条九代記、旗岡八幡神社記録、芳根弥三郎著荏原中延史

八幡山法蓮寺は日蓮宗の寺で、毎年十月のお会式には万灯や団扇太鼓を持った信者の参詣で大賑わいする。荏原七福神の恵比寿の寺としても知られている。

開山は鎌倉時代中期、日本が蒙古来襲の脅威にさらされていた文永年間(一二六四−七五)のことと伝えられ、八幡太郎義家の子孫というこの地の豪族荏原氏の館に創建された寺だったという言い伝えがある。

「こゝに荏原郡の領主荏原左衛門尉義宗と云ふ人あり。(姓は源にして即ち八幡太郎義家朝臣の遠裔なり)代々この地を禄す、依つて中延を氏とし又この所に館せり」

『江戸名所図会』の「中延八幡宮」、現旗岡八幡神社に関する記述では、荏原氏が八幡神社と法蓮寺が建つ地に館を構えていたとしている。

義宗は日蓮聖人の教えに帰依して、末子の徳次郎を日蓮の高弟日朗に弟子入りさせた。朗慶で、彼は後に越中阿闍梨と称された高僧になり、父の館の地に建つ法蓮寺の開祖と伝えられている。

館には、義宗が先祖から受け継いだ八幡の神像が既に祀られていたようだ。旗岡八幡で、こちらのほうが法蓮寺よりやや歴史が古いが、神仏習合時代のことであり、荏原氏により法蓮寺開山と同時に八幡神社も作られた。

八幡さまはもともと源氏と縁の深い神さまだが、荏原氏が支配した旗の台、中延地区はとりわけ源氏との関係が深かった。中延には「源氏前」という地名が近年まであり、小学校の名前として今も残っている。

第四十六世 常輪院日慎上人 澁谷辨我

明治四十四年 都筑郡成合にて生まれる
大正八年 叔父にあたる澁谷朝松上人の弟子となる
昭和六年 立正大学在学中に先代遷化 法灯を継承
昭和十三年より応召 満州にて二年間を過ごす
昭和二十年六月 四度目の応召 広島にて待機
八月原爆に遭遇 難を逃れるも翌日より市内救援活動
終戦に伴い翌九月中延に戻る 空襲により堂宇悉く全焼
同じく戦災を受けた檀信徒と共に本堂を復興す
平成元年三月六日 七十八歳にて遷化
現在は四十七世。

所在地・ご連絡

日蓮宗 八幡山 法蓮寺
〒42-0064 東京都品川区旗の台3−6−18
電話 03-3781-4011
FAX 03-3782-4094
会報「ほーれん」

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交通案内
お車でお越しの場合

都心方面、川崎方面、どちらからお越しの際も
時間による規制がありますので、中原街道をご利用ください。
昭和大学病院 東病棟のある交差点を
国道1号線(第2京浜国道)方向に曲がります。
(都心方面からは左折、川崎方面からは右折)
その後、最初の信号を右折します。
ひとつ目の信号を直進し、
踏切手前の右側が当山です。

  • 他にも道はありますが、交通規制が多く、お勧めできません。
  • カーナビの場合、国道1号線からの案内を表示する場合がありますが、中延駅からの道路は時間によって通行できません。
    
電車でお越しの場合

東急大井町線・「荏原町(えばらまち)駅」大井町方面の改札を出て目の前のお寺です。

行事
年間行事

  • 1月1日
    年頭初参り
    年の初めに仏様、日蓮大聖人に年頭のご挨拶を致します。
  • 1月1日〜1月7日(10時より4時)
    荏原七福神参り
    お正月に福を呼ぶ七福神を参拝します。荏原七福神は歴史、伝統ある武蔵国荏原郷。由緒ある荏原の地名を残すと同時に地域の平和・繁栄を祈願するために設立されました。
  • 春分の日
    春季彼岸会
    彼岸会法要はお中日(21日)の午後2時より。
    お彼岸は昼と夜の長さが同じ日、春分の日と前後三日間の一週間のことを言います。仏教の説く中道の教えにならんでこの一週間が仏道修行の日となり、中日に法要をします。このお彼岸中に行う修行の功徳は普段の倍になります。手を合わせお題目をお唱えしましょう。
  • 4月8日 午後2時より
    釈尊降誕会(花祭り)
    仏になるための教え、仏が説く教え、仏を説く教え、仏教を残されたお釈迦さまが誕生された日をお祝いします。「天上天下唯我独尊」左手で天を指し、右手で大地を指す幼児のお釈迦様に甘茶をおかけします。
  • 7月6日 午後2時より
    施餓鬼法要
    本堂にて塔婆を立てご先祖さまと餓鬼道に堕ちて苦しんでいる無縁さんを御供養します。お釈迦様のお弟子、神通第一を言われた目連さまが神通力で亡くなった母を捜したら餓鬼道(飢餓に苦しむ世界)に堕ちている事を知りお釈迦様に母を救う教えを請い、僧侶に施したのが始まりです。
    また、餓鬼道の人々を供養することにより、自分の心にある餓鬼道のこころ。あれが欲しい、これも欲しいというむさほり、自分の欲求さえ満たされれば良いと思うエゴを成仏させる意味が隠れています。
 
  • 秋分の日
    秋季彼岸会
    彼岸会法要はお中日(23日)の午後2時より
  • 10月16日
    お会式
    法要は5時より 万灯は7時より
    日蓮大聖人がお亡くなりになった日(10月13日)に報恩感謝の法要をとり行います。当山では池上本門寺に続いて16日に行います。日蓮大聖人がお亡くなりになった日に桜が咲いた故事になぞらえた万灯がくりだします。
  • 毎月12日 6時より
    信行会
    お経と法話、写経を行っています。参加自由。無料ですので檀家でない方でもお気軽にご参加下さい。お寺にあるお経本、写経セットと使いますので手ぶらで大丈夫です。
  • 毎月15日
    戦没者供養
    供華読経
  mantou
万灯 お会式

お会式とは宗祖日蓮大聖人ご入滅の際に時ならずして桜が咲いた故事に習い、法要を10月12日から13日にかけて行う行事です。

当山では池上本門寺の12日についで16日に近在の結社・講中の万灯が境内を埋め賑やかです。なお平成14年には多くの方々の寄金により万灯を新規につくり花々しく披露されました。

行事の記録

 当山で営まれました、
 彼岸会、施餓鬼会ほか、様々な行事の記録を
 ご紹介します。

   彼岸会法要   

   彼岸会法要   

   施餓鬼会法要   

   施餓鬼会法要   

   施餓鬼会法要   

お守り

法蓮寺さん御守りありませんか。壇徒さんなどよりよく 聞かれました。お札はあるのですが御守りはありません。 いつかは法蓮寺でも御守りをおわけできればと思っておりました。
法蓮寺の本堂には鬼子母神像のお像が安置されております。会報で申しあげました。
御本尊とお祖師様が中心にありますその右脇にあります。 江戸時代に制作されたお像と言われています。

私が幼いころ、もの心がついた時には母が毎日お給仕をしていました。まず初めにお祖師様その次に鬼子母神様次に観音様に御飯とお茶を差し上げています。
嫁いできた時より行っていたことでしょう。
母の里は港区は高輪です。昭和十二年に中延へ来ました。
高輪では水道もガスも整備されていましたが中延は井戸水を汲んでマキでお風呂を沸かしていました。私が小さい頃昭和四十年の半ばまでお風呂は五右衛門風呂でした。
父(先代)は昭和十四年より四回応召されました。満州で冬を趣したこともあったそうです。
昭和二十年の八月には広島に居りました。原爆投下の時には市内(爆心地)より数キロ離れたところに部隊があったそうで、その瞬間は離れていたにも関わらず顔が熱さを感じたと言っていました。翌日より市内に入り救援とかたずけをしたそうです。翌月九月彼岸頃に中延へ戻りました。 駅より見渡して何も無く焼け野原と言っていました。
先代 (父)は六十歳を超えた頃に目まいがするようになりました、病気のはじまりです。
最初は原因が分かりませんで、原爆の後遺症などと言われましたが何度か入退院をしているうちに脳の抹消血管に血栓があることがわかりました。
この病気のおかげで今までの生活習慣を変えて食事にも気 を遣うようになり身体も回復して八十近くまで (数え七十 九歳没)過ごすことができました。病気にならなければ気がつかないでいたことでしよう。

塞翁が馬の話のように、可愛がっていた馬に息子が乗って落馬して怪我をしてしまう。そのうちに戦争がはじまり村の若い者たちは兵士に取られてしまい戦争が終わっても一 人も帰ってこられなかった。怪我をした息子は戦争に行か ないで助かった。怪我をした理由というか病気になる理由があるのかと思わせる話です。
無病息災ではなく、一病長命と言われています。
病気や怪我して生活習慣を改めて健康を維持する
身延山でも本門寺でも参拝に行かれたが、転んだ又は怪我をしたなどという場合もあるでしょう。
よく聞く話が二通りあります。一つが せっかくお参りに行ってあげたのに良くない事が起きた。
もう行かない、御利益がない仏様だこと。もう来ない。
少しでも利益があり良い事がないからと思う。
もうひとつが、お参りに行って転んでしまった。
せっかくお参りさせていただいたのにと嘆きますが、後から足腰が弱くなったから無理をするな、他の所で危険な場所は気をつけて歩けよ、いつまでも丈夫でないな。と自重の心を持つ。
前者は無信心で信仰心がない人の考え方。
後者は信心があり議虚で利益よりもまず無事であることを感謝できる信仰心がある方の考えかたです。
見えない力に護って頂いていることに感謝できる心を持つ。

今回作成致しましたお守りはお釈迦様でも日蓮聖人でもありません。
法蓮寺の本堂のなかの脇に安置されております鬼子母神さまのお姿を写しものです。
鬼子母神像は法華経の守護神であります。
鬼子母神は法華経の守護神ですから日蓮宗のお寺では必ずと言ってよいほどに祀られているようです。
法華経の行者 信仰者を護る。
御題目を唱える方を護ってくださいます。
鬼子母神と崇められていますが鬼子母神様を拝むのではなくてお釈迦様を拝み御題目を唱える方をお護りいたします。
ご家庭でお仏壇の中、正面をはずして脇に安置下さい。
(本堂にて開眼済みです。携帯されても結構です)
正面のご本尊を拝み御題目をお唱えする方を守護します。
希望されるかたには一枚千円にて領布しております。

境内・史跡
史跡

お祖師様座像 

開山越中阿闇梨朗慶上人の墓碑 

日健上人の記念碑 

お姫様の石塔 

岡田播磨藤原道孝 石碑 

お祖師様座像(本堂)
木彫座像の高さ四十六糎程のお祖師様で年代は不詳 他に室町時代の作「僧形八幡大菩薩」座像あり
開山越中阿闇梨朗慶上人の墓碑(境内)
日蓮大聖人に六老僧あり その一人が日朗上人で同上人に九老僧ありその一人が即ち朗慶上人である。
日健上人の記念碑(門前)
明治三十五年四月に日蓮宗開宗六百五十遠忌に際し長榮長興両山第六十世 日健上人の花押、檀信徒寄進による記念碑あり。
お姫様の石塔(中通り墓地)
元録十二年八月建立、碑面には幻寿院殿日空妙秋大童女 とあり字牧野の地名からみて徳川幕府で老中を勤めた牧野家ゆかりのお姫様と思考する。
石碑(上の墓地)
咳の神様として有名、碑面に岡田播磨藤原道孝、弘化三年とあり裏面に「仏とはなにをいわまの草の葉に末の世かけて残すいしぶみ」と刻まれている。
石碑(上の墓地)
入口近くの右側に当山第四十四世住職日晋(詮妙)上人の七言絶句の漢詩が刻まれている徴兵制第一号の犠牲者を弔ったもので即ち
    明治募兵当卒先
    挺身報国第三年
    一朝風動人烟裡
    千載令名香墓辺
詮妙選之
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境内・界隈

 当山の境内や本堂、近所の昔の様子など、スライドショーやパノラマムービーでご覧いただけます。
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墓地
お墓ご案内

当山には、「境内墓地」のほか、お寺から歩いて3分の境外墓地の「仲通り墓地」と 東急旗の台駅より8分ほどに位置し、江戸時代の上天領に由来する法蓮寺離れ墓処「上の墓地」があります。

仲通り墓地
お寺のすぐ近くに位置し、敷地内には「お姫様の石塔」などの史跡があります。
所在地
品川区中延4-15-22
募集墓域
90cm×90cm
永代使用料
220〜250万円

上の墓地
旗の台駅より約8分の、旗の台に5百年続くゆかりの深い墓地です。永代供養塔も新設されました。
所在地
品川区旗の台1-1
募集墓域
50cm×60cmより
永代使用料
60〜160万円

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お墓をお求めの方に

はじめに

法蓮寺は 日蓮宗 です。 総本山は身延山久遠寺で、その中の池上本門寺系列の寺院です。 お釈迦さま・妙法蓮華経・お題目・日蓮大聖人を信奉しています。

墓地には大きく分類して、公営の墓地と民営の墓地があります。 公営とは、国または市町村が管理する墓地で、宗旨宗派を問わずに、 誰でも利用できるようです。

民営の墓地でも2種類ありまして、民間の企業または寺院・神社などが、 維持経営する墓地で、1つは在来ある寺院が檀家信徒の為にある墓地で、 その寺院の檀家になることが条件でもあります。 その寺院及び宗旨を護ることも必須となります。

もう1つは、霊園のようにどの宗旨宗派・無宗教でも求めることができます。 昨今は色々な形態があり、墓地の所有も土地のように譲渡などもあるようです。 墓地の用地を求めるに、その墓地を買うという表現もありますが、 当寺院の墓地はすべて、永代使用というかたちになっております。

本来は、墓地永代使用料を払うといい、使用する権利を有するということです。 法蓮寺ならびに宗旨を護れば代々何十年何百年でもお使い頂ける墓地で あります。日本には憲法で保障された信教の自由があります。 何人も強制・拘束はされません。 霊園の墓地であれば信仰が変わっても問題ありませんが、当寺院は日蓮宗で あります。その信仰が継続できない場合には墓地の返還移設となります。

墓地を求めるにあたりまして、ご質問の多い事項について、以降に ご説明いたします。

維持管理について

墓地の管理費が1区画年額1万円、護持会(お寺を護る法蓮寺の外郭団体) 会費が5千円、両方で年額1万5千円。(平成20年3月現在)

 *法蓮寺で金額が決まっておりますのは、
   この他、卒塔婆1本3千円です。

任意の金額にて納めていただきますものが、春・秋の彼岸供養、七月の 施餓鬼法要、十月の日蓮聖人の御会式法要で、年に4回、お寺より ご案内させていただいております。
金額は決まっておりません。お布施で納めていただいております。

寺院の墓地を求めますと、寺院の維持に上記のようなお付き合いが生じて まいります。
後でも書いておりますが、法蓮寺墓地に納まっている霊位は本堂において 毎日、ご回向されております。(菩提を弔う)

葬儀・法事

その時を、人は必ず迎えなければなりません。千年も万年もと願いたいもの ですが、無常の理がこの世にはございます。
告別の儀式ですが、お別れをするだけでなく、故人をお釈迦様の元へ送る ことが肝要となります。法蓮寺より法号(戒名)を授与いたし、最後の説法 (引導を告げて)をして、お送りいたします。

御付けした法号は、法蓮寺の過去帳(霊簿)に記載されます。 法蓮寺が続く限りに歴代の住職が回向をお勤めいたします。

代々にその方の菩提を弔う法号を頂いたお寺を、菩提寺と言います。 菩提とは、悟りの境地(成仏)冥福を祈るという意味があります。 御霊の成仏・冥福を永年にわたり、願い祈ることが肝心です。

法蓮寺では、法号(戒名)がいくら、通夜が、葬儀がいくらなどは一切 ございません。 すべてを含め、布施として納めて頂いております。 葬儀にて布施を納めて終わりではなく、過去帳に記載された、その方の 菩提は、毎日本堂にて供養されるわけです。
全てを含め、その意味をもって布施としてお寺に納めていただきます。 お布施は、お寺の維持に使われます。

法事(年忌法要)

命日に合わせて、本堂(またはご自宅)にて執り行います。 追善の供養、追善の法要ともいいまして、お送り、向こうに居わします。 故人に今一度、善を追って届ける、お供えをするという意味です。

お施主様が志して故人のために行う、法華経を読みお題目を唱える、 貴重な布施をして花等を供えて、または食事を振る舞い、この全て供養を 善という功徳として、お送り捧げます。

故人の成仏を願い、冥福を祈り、自分たちが在ることを感謝申し上げて、 墓参りをいたします。

日蓮聖人は「法華経とお題目にて送られた魂は成仏された浄土より戻りて 遺骨にも魂が宿る、この骨は成仏された仏さまである」。 と、言われております。
菩提寺の本堂とお墓とお仏壇に、ほとけさま(故人)はおられます。 だから、墓地は聖地とされております。

年回忌法要は三回忌が済みますと、十年に二回法要を行います。 地方によっては、五十回忌または三十三回忌が最後の法要となり、 それを過ぎると、その故人は先祖の霊となられるので、以降は彼岸でも お盆でも、ご先祖様として、お参りいたします。

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ご回向・ご供養
御回向(供養・御経)承ります。

ご先祖様 亡くなった方の法要を 本堂にて執り行えます。

  • お墓が遠方である。
  • 菩提寺が決まっていない。
  • 突然の不幸で荼毘(火葬)には付したが 初七日・三十五日・四十九日忌・一周忌の 御回向(供養・御経)だけお願いしたい等。

必ずお電話にて日時の問い合わせをして 申し込みをして下さい。
費用はお布施ですので決まった金額はありません。
(目安として、五千円 一万円 二万円位)
その他ご質問ご相談がありましたらご遠慮なくどうぞ。

お申し込み

ご法要等、ご希望される方は、
下のリンクからお申し込み用紙を取得し

必要事項をご記入の上、
当山までFAXにてお申し込みください。

お申し込み用紙の印刷には
adobe reader が必要です。
必要な方は、以下サイトより入手してください。

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永代供養案内

平成十四年十月十六日完成

法蓮寺ではご縁ある方々がどなたでも入れる供養塔(お墓)を造りました。 この塔に納められました御遺骨は永代に渡りまして御回向申し上げます。
無縁仏とは違いまして、当寺院が永代に維持管理する供養塔(御墓)であります。

入塔されました方々は供養塔名簿に記載いたしまして、日蓮宗の法要儀式に則り 妙法蓮華経とお題目にて、本堂に於いて入塔者合同の御回向をいたします。

入塔に際しましては、日蓮宗を信仰する法蓮寺の信徒になっていただきます。別紙申し込み用紙に記入のうえ、 ご提出ください。

当山では、入塔に諸事情がある方、ならびに仏事全般に関しまして、ご相談に 応じさせていただいておりますので、お気軽にお電話にて、ご予約のうえ、 寺務所までお越しください。

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境内供養塔 50万円

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上の墓地供養塔 30万円
荏原七福神
荏原七福神へようこそ

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人は皆健康を望み、家内円満、 商売繁盛、しいては世界の平和を願っております。人々に福徳を授け、財宝・寿命をもたらす七福神信仰は、我が国に古来から大切に育てられた、情緒豊かで初春にふさわしい伝統的行事です。

荏原七福神は、武蔵国荏原郷の 古い歴史を今に伝える、品川区内の由緒ある七つの社寺に安置されてる、格調の高い七福神でございます。七福神詣りは正月の松の 内にお参りするのが、特にご利益 があるとされ、また七福にあやかって七の日にお参りするのも、良いといわれております。

それぞれ由緒ある七つの社寺にご参拝くださいまして、七福神の功徳を充分に載かれ、併せて、荏原郷の昔に遡る歴史の重みを、探究して頂けますよう願って止みません。

七福神の神々を祀る社寺

福禄寿

大井藏王權現神社
財宝と人望と出世をもたらす神

昆沙門天

不動院東光寺
開運厄除けと財宝をもたらす神

布袋尊

養玉院如來寺
寛容で福寿・財宝をもたらす神

弁財天

上神明天祖神社
愛情と智隷を授け富貴開運をもたらす神

惠比寿

八幡山法蓮寺
清廉で商売繁盛・福徳をもたらす神

寿老人

仏母山摩耶寺
延命・長寿と福徳をもたらす神

大国天

小山八幡神社
福徳円満で財宝をもたらし、大願成就の神
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荏原七福神参拝に際して

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  1. 参拝の順序は案内図により、ご都合に合 せて自由にお廻りください。
  2. 参拝の記念に荏原七福神の色紙を、各社寺で有料でお領けしております。
  3. 二枚の色紙に七福神名が印刷してありますので、七社寺に参拝の都度所定の位置に朱印を押してください。七ヶ所全部廻りますと立派な色紙が出来上がります。
  4. 七社寺全部押印した所定の色紙一枚につき、満願の絵馬を一個差し上げます。
  5. 押印の際各社寺の係が不在でセルフサー ビスの時は、印等は丁寧に取扱い使用後 は所定の位置に正しく戻してください。
  6. 色紙の他にも七福神に因んだものを領布いたしますので、ご利用ください。

荏原七福神の色紙(金・標準)


(キャラクタータイプ)
在原七福神カード

当山のみにて領布している荏原七福神のオリジナルカードです。
写真では画面の都合上、黒色の絵柄に見えますが、実際は金色の図柄です。

  1枚 300円 / 7枚セット 1,800円。


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<裏面>

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在原七福神会

〒42-0064 東京都品川区旗の台3−6−18
電話 03-3781-4011
代表 法蓮寺住職 渋谷幸道
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